FIREを目指した、激動(自分的に)の一年を振り返って

FIREについて

もうすぐ2021年が終わろうとしています。
FIREを目指して自分なりに頑張ってきたと思います。
今回は、そんな1年を振り返ってみたいと思います。

FIREを目指して

数年前にFIREという言葉を知り、憧れはあった物の自分とは縁の無い事と諦めていました。

それでも、少しでもシンプルな生活がしたいと考える中で、年々生活費が減り、投資信託への積み立ても、本当に惰性で機械的に続けていました。

そんな中、今退職したらどうなるんだろう? と気になって、2人のFP(ファイナンシャルプランナー)に資産状況や生活費などを見てもらいました。

その結果、「すぐに退職しても、将来それほど不安に思う必要はない状況」という驚きの返事が!

FIREの条件は色々ありますが、自分がそれを達成出来たとは思えないのですが、少なくとも「現在の生活費」の25年分の資産はあるらしいです。

本当に退職してもやっていけるのか? インフレ率やリフォームなどに必要な費用、今後予想される医療や介護の費用、色々な条件を考慮して自己流のシミュレーションを重ねた結果、少なくとも私の年齢の平均余命である25年間は、何とかなるのでは?という結論に達しました。

まあFIREの前半の経済的な独立が果たせているとは言えないものの、早期退職は可能かも知れないと感じた次第です。

退職への決意

職場の在り方と自分の心の乖離からストレスが溜まり続け、うつ病が悪化すると共に、喘息まで再発してしまい、精神的・肉体的にも仕事を続ける事が困難になってきました。

資金的な事が退職を後押しした事は事実ですが、それよりも決定的だったのは、やはり母の死だったと思います。

仕事への熱意を失くし、ストレスでしか無かった職場。
それでも辞めずに働き続けていたのは、母に何かあった時には、やはり自分の働く病院に世話になるのだろうという想いからでした。

(病院の在り方はともかく、働いている職員の事は信頼していました)

ですが、そんな母も2020年の10月に亡くなり、私は現在の病院で働き続ける意味を失くしてしまったのです。

困難を極めた退職交渉

2020年10月に母を亡くし、諸々の葬儀やら手続きやらがひと段落した12月、私は退職届を提出しました。
もうこれ以上職場に居続ける事は出来ないし、ここで働く意味も無くなってしまった…そう思ったからです。

しかし上司との話合いで「今のアナタは母を亡くしたばかりで、正常な精神状態ではない、もう少し時間をおいて落ち着いてから話合いましょう」と慰留され「何年も考えた末の結果なのだがなぁ」と思いながらも、上司の話を受け入れ、年明けに再度交渉する事にしました。
それが、私の長い退職交渉の始まりでした。

その後、年が明けてから話合うも平行線のまま、退職届すら受け取って貰えませんでした。
上司は、50代後半では次の就職も難しい、今後の生活の為にも考え直した方が良いという意見でしたが、私の心身の状態は日に日に悪くなっていく一方でしたので、どうしても退職の意思は譲れず、5月に再度退職届を提出しました。

それからは以前にも記事にしましたが、職場の皆の意見も聞いてみてと言われ、部下(一応中間管理職なので)に退職の話を切り出し職場の雰囲気を壊したり、職場に穴を明けない為に翌春までは働くから、その間に人材募集をして欲しいと話してしまったりと、やる事全てが裏目に出てしまい、最終的に退職届が受理されたのは10月、最初に退職届を提出してから実に10カ月以上も時間が掛かってしまいました。

自粛生活だけの一年

生活に関しても自粛生活が長期化するなど、本当に生活スタイルが一変した一年でした。

2020年には休日などの自由行動が制限されていましたので、2年近くもキャンプや登山などの趣味の時間が取れずにいました。

実際には、近所の低山ハイクくらいは許可されていたのですが、職場の部下たちに不要不急の外出自粛を求めていた手前、自分が趣味で出かける事に後ろめたさを感じて、自分で自分を縛っていただけなのですが……

ニュースなどでは、ネットショッピングでストレスを発散し、買い物依存に陥っている人がいるという話も聞きましたが、私の場合は物を欲しいという意欲自体が減退してしまい、欲しい物貯金を機械的に積み上げるだけになっていました。

以前であれば、欲しいと思ってお金を貯めたけれど、結局欲しいという気持ちが冷めて買わなかった時には、そのお金を投資に回していました。

しかし、今回の場合は欲しいとは思っているけれど、買う意欲が湧かないという訳の分からない状態だった為、欲しい物貯金だけが溜まり続ける結果になってしまいました。

振り返ってみると、職場以外は何処にも外出せず、生活に必要な物以外買い物もせず、休日はずっと家に籠り続けた一年でした。
引き籠りとかニートって、こういう感じなのかなぁ?と、少しだけ共感を持てた一年でもありました。

病に苦しむ

順調?に鬱を患う一方で、肉体的にも変調が現れました。
7月頃には嘔吐下痢が続き、季節外れのノロウイルスかと思いきや、細菌検査からCT検査、果ては大腸ファイバーまで、様々な検査を行いましたが、原因不明で一週間ほど絶食して点滴だけの生活を続けました。

翌8月には喘息が再発し、しばらく喘息発作で眠れない日が続きました。
まあ元からあまり睡眠は取れていない状態だったのですが、喘息の発作はかなり体力も消耗するので、自分的にはかなり厳しい夏だったと思っています。

そんなこんなで、先日の職員健診では6月の健診から更に5キロほど体重が減少してしてしまい、44キロになってしまいました。
2019年には72キロほどありましたので、2年ちょっとで30キロ近くのダイエット(笑)に成功した事になります。

いや笑いごとじゃないですね。こうした体重の減り方って体脂肪はそのままに、筋肉だけが落ちていくので、患者さんの介助を始めとした業務にも支障が出るようになってしまい、職場にも迷惑をかけまくっています。まあ自業自得なのですけど。

アウトドアへの憧れ

してはいけない!と言われると、逆にしたくなるのが人間のサガなのか、私のキャンプ熱は、静かに燻り続けて身を焦がしています。

先日、外出規制がやや緩んだのを機に、新しく購入したテントの試し張りキャンプをしましたが、やはり良いものですね~
普段だったら、ほとんど身体が受け付けない肉類も食べる事が出来ましたし、何よりも、焚き火を眺めている間は、仕事の事も病気の事も頭の中から消えていました。

快適な家の中でも中々眠れず、中途覚醒を繰り返しているのに、屋外で氷点下という環境なのに、一度も中途覚醒せずにグッスリ眠れてしまったのには驚きました。
キャンプの癒し効果というのは、私の想像以上に高いようです。

既に定年退職した先輩から「先週は何々山に登ってきた」という話を聞く度に羨ましく思ってきましたが、自由に山に登ったりキャンプをしたりという生活は、やはり憧れてしまいますね。

退職したら、そんな生活をしてみたいと思いますが、その為にもまずは食事が摂れるようになり、体力を回復させないといけないですね。

来年のFIREへ向けて

気が付けば、FIRE(勝手にそう思っているだけで、単なる早期退職ですが…)まで、後3カ月あまりとなりました。
振り返ってみればあっと言う間……と言いたい所ですが、ここまでとても長く感じました。

長引く退職交渉と自粛生活に、私の豆腐メンタルが耐えきれなかったというのが正直な気持ちです。

それでも、来年3月末には私は職場を去ります。
退職後のシミュレーションを何度もしましたが、所詮は絵空事に過ぎません。退職したら自由だ~!という訳ではなく、色々な問題が待っているのだと思います。

今までは家族や会社に守られて生きてきたのだと思っています。
会社(病院)に対しては、その点では感謝しています。
両親も他界し妻とも離婚しました。これからはボッチで生きていきます。
でも、そんな道を私は選択しました。

後悔なんてしないとは言いません。きっと「何て馬鹿な事をしてしまったんだろう」と何度も後悔する事があると思います。
それでも、前を向いて歩いていきたい。
豆腐メンタルなんて言っている場合じゃないですよね。
自由と引き換えに、色々な問題から逃げずに向かっていく。
私のFIREは、きっとそういう生き方なのだろうと思うんです。

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