何とか睡眠が確保出来て、何とか旅を続けられそうです。
今日は日本でも最も有名と言っても良い三内丸山遺跡を見て、夕日がキレイと言われる温泉を目指そうと思います。
救世主「道の駅つるた」
夕べはネットカフェで眠れず本当に焦りました。
深夜0時を過ぎて、このまま徹夜をするか寝られる場所を探して深夜に車を走らせるかという、私にとっては究極とも言える選択を迫られました。
結果的に、この「道の駅つるた」に辿り着く事が出来て、本当に良かったと思います。
恐らく、あのままネットカフェで一夜を明かしていたら、とても運転出来るような状態にはならず、最悪体調を崩して旅を中止せざるを得ない場合もあったかも知れません。
ちなみに、運転出来ないほど体調が悪化してしまった場合、車をレッカー移動してもらうとどうなるのか? JAFの料金で計算してみたところ50万円以上かかるようです。
本当に「道の駅つるた」さんには、仮眠を取らせて貰えた事に感謝です。
深夜到着の早朝出発だったので、レストレランなどを利用出来なくて申し訳ありませんでした。
三内丸山遺跡の歴史的スケールに圧倒される
「道の駅つるた」で3時間ほど寝られた事で、函館~青森で感じていた体調の悪さは完全回復しました。あの気持ちの悪いダルさは何だったのか?
とりあえず体調も戻った事ですので、まずは三内丸山遺跡に向けて出発です。
三内丸山遺跡は日本で最も有名な縄文遺跡の一つと言っても良いと思います。
縄文遺跡に興味の無い人でも、巨木を組んだ櫓のような建物の画像を見た事のある人は多いはず。
私には文化財というか考古学的に、どれほど貴重な物かは分かりませんが、この遺跡が5000年前には既に存在し、1500年という長期間に渡って存続していた事が想像も付きません。
だって5000年前ってどんだけ昔なんですか、卑弥呼が亡くなったと言われているのが西暦248年と言われていますし、平城京や平安京への遷都は「710年(ナント立派な平城京)」「794年(ナクヨウグイス)平安京」と覚えました。
もう日本史では比較にならず世界史を見てみると、ちょうどメソポタミア文明の頃でしょうか?
しかも一つの都市が1500年も続いていたというのも、そのスケール感に圧倒されてしまいます。
復元された建物の巨大さよ
遺跡そのものは見る事は出来ませんでしたが、復元された建物群を見るだけでも感動ものでした(釧路の北斗遺跡でも観ましたが)
やはり目を引くのは、例の巨大な櫓のようにも見える巨大掘立柱建物。
とても5000年前に作られたとは思えません。
これだけ巨大な柱を、バランスを崩さず建てるだけの建築技術が既に存在していたという事にまず驚かされます。
もちろん点在している普通?の住居群や高床式の倉庫らしき建物、そして巨大掘立柱建物と並んで有名な巨大竪穴建物。
集会場であったとか祭祀場であったとか言われているようですが、中に入ってみると広さもさる事ながら天井の高さにまたビックリ。
個人的には高床式倉庫も興味深かったですね。
個人的には安定的な貯蔵が可能になるのは、農耕が始まるようになってからという印象が強く、縄文時代から高床式倉庫が発見されていると知識では知っていても、こうして現物(復元物ですが)を目前にすると、そんな自分が浅い考えがふっとぶのを感じます。
農耕と身分制度
私は歴史に弱く聞きかじりの知識なので間違っているかも知れませんが、まだ狩猟が主だった縄文時代は身分制度が緩やかで、現代につながるような明確な身分の上下が生まれたのは農耕が始まってからだと昔読んだ本に書いてあったような記憶があります。
安定的に作物が取れるようになり、人々の飢えは軽減したのかも知れませんが、それとトレードオフするように貧富の格差が生まれた事は少し考えさせられます。
現代の戦争だって、民族紛争やら宗教的な対立やら色々な要因があると思いますが、最終的には「より多くの富みを求めて」という事になるのではないでしょうか?
蓄財が争いを生む・・・FIREした私が言うのも口幅ったいですが、財を貯め込む事でより大きな財を求めるようになり、そうした欲望が争いを生む、人間の業のようなものを感じてしまいますね。
これも大昔に読んだ本の知識なので不正確だとは思いますが、縄文時代の人は財に対して大らかで、狩猟で得た食料などは集落の共有財産としていたとか。
少なくともコミュニティーに所属している限り「特定の階層の人だけが飢える」という事は無かったと読んだ覚えがあります。
もちろん獲物が取れない時があったり、生活は不安定だったかも知れませんし、色々と不便な事も多かったと思います。
それでも縄文時代の人と現代に生きる我々と、どちらが幸せなのだろうと考えてしまいます(もちろん単純に比較する事など出来ないと判ってはいるのですが)
日本海に沈む夕日
皮肉な事に北海道を離れて、ようやく天候が晴れてきました。
三内丸山遺跡を見学した後は、夕日のキレイな温泉を求めて青森から秋田方面へ南下して、象潟の「眺海の湯」を目指しました。
ちなみに象潟(きさかた)って読めますか? 私は読めませんでした。
象潟までは260kmほどもある長距離移動だったので疲れましたが、眺海の湯の温泉に浸かったら疲れがふっとびました。
眺海温泉は、やや温めの湯加減なので、温泉から180度の日本海を見ながら温泉に浸かっていると、全身が脱力して何時までも入っていられそうです。
温泉を出た後、海が見える広場まで歩いてみたのですが、潮風も心地良く日が沈みつつある象潟から見える日本海は、幻想的でもありとても美しかったです。
散歩をしていたらお腹が減ってきたので、フードコートでホルモン定食を食べました。
本当は温泉のレストランか、海産物直売所で海鮮系の食事をと思っていたのですが、何故か無性にホルモンが食べたくなったのと「数量限定」の文字に誘われてしまいました。
柔らかく煮込まれたホルモンはアッサリ目の味付けで、群馬には「永井食堂」という名店があるのですが、対照的な味付けでした。でもこれはこれでとても美味しかったです(ちなみに私が注文したのが最後の一杯だったようです)
道の駅象潟でオヤスミナサイ
道の駅象潟は「ねむの丘」の愛称でも呼ばれる道の駅で、先ほども紹介した眺望の湯を中心とした車が400台も停められる大きな道の駅です。
私がこれまでに利用させてもらった道の駅でも最大級の大きさなのではないかな。
道の駅の中心にある眺海の湯は6階建ての大きな建物で、一階が特産物などを売っているお店で、モンベルショップも入っていました。
2階がレストラン、3階が大宴会場、4階が温泉で、6階が展望台になっています。
眺海の湯の隣には足海産物特売所や色々な店舗が入ったフードコートまであり、「あしほっと」という足湯まであり、ドライバーの疲れを癒すには絶好のスポットだと思います。
道の駅の向かいにはファミレスのガストとツルハドラッグがあり、お隣にはセブンイレブンもありと、とても便利なロケーションですね。
トイレは勿論、インフォメーションセンターも24時間使う事が出来(インフォメーションセンターは19時で消灯します)、駐車場もフラットなので絶好の車中泊スポットなのか、明らかに車中泊と思われる車も10台程? 泊まっていました。
明日も早朝に出発する予定なので、私もここで仮眠を取らせて貰おうと思います。
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