FIREを目指してみて、改めて感じた事「日本は大丈夫なのか?」

FIREについて

現在58歳、来年3月までにはFIREをしたいと思っています。
ですが、日本は少子高齢化が進む中、早期退職どころか「老後資金2000万円問題」が話題となり、「一億総活躍社会」「生涯現役社会」の真っ只中です。
そんな日本の現状を見ていて「本当に日本の将来は大丈夫なのか?」と感じてしまいました。
ちょっと重たい記事になってしまいましたが、お付き合いいただけると幸いです。

半数以上の人には老後なんて来ない?

一昨年でしたか、金融庁が発表した老後2000万円問題というのが注目されました。
こんな事を書くと反感を食らいそうですが、私自身は老後資金は2000万円では、とても足りないと感じています。

更に、2019年の調査では最も金融資産を多く保有している60歳代で、平均1635万円、中央値で650万円(金融広報中央委員会発表資料より)という事でした。
2021年の総務省の発表でも、世帯主が65歳以上の世帯の貯蓄額の中央値は1555万円、つまり日本の半数以上の世帯が2000万円に到達していません

要するに、半数以上の世帯は老後の生計を維持するのが難しく、良く言えば生涯現役、悪く言えば一生働き続けなければ生活出来ないという事になります。
言い過ぎかも知れませんが、そこに「老後」という概念はありません。

老後2000万円問題

老後2000万円問題については「2000万円なんて必要ない」とか「むしろ2000万円では足りない」とか、色々な意見が出ています。

そりゃそうですよね。
みんな必要な生活費も違うのだし、貰える年金だって違のですから。

自分の場合はどうなのか? が問題なのであって、一般論として2000万円が妥当か? なんて個人にとっては意味がありません

それでも敢えて言わせてもらうのならば、個人的には2000万円では将来的には足りなくなると考えています

私の生活費が世の単身家庭と比較して多いのか少ないのか判りませんが、まったくインフレを考慮せず、年金もマクロ経済スライドなどを無視して、年金定期便に示されている満額をもらったと仮定しても、2000万円ではカツカツです。

家のリフォームやら、耐久消費財の劣化に伴う買い替えなどを考えると、やはり2000万円では足りないという感想になります。

老後資金は幾ら必要?

以前「FIREに必要な資産の計算方法」という記事でも書きましたが、私の試算(結構いい加減ですけど)では、おおよそ7500万円程度の資金が必要になるという結果になりました。
この金額は、野村総研の分類でいう準富裕層にあたり、日本の世帯のおよそ8.77%だそうです。

「なんだよ自慢かよ!」「マウントを取りたいだけなんじゃねえの?」という声が聞こえてきそうでが、冷静に考えてみるとこれって変じゃないですか?
そんな一部の人しか持てないような資産が用意出来なければ、安心して老後を迎える事が出来ないなんて。(実際には年金分を引いた額が必要資金になりますが)

私の場合は、様々な幸運が重なって現在の資産が貯まっただけで、決して自分の実力で資産形成が出来たとは思っていません。

しかも私の毎月の生活費は10万円前後です。
独身で、しかも田舎の持ち家に住んでいるからこの程度での生活費ですが、都会であったり、家族がいたりすればこんな金額では生活出来ないと思います。

そんな生活であっても、計算上では2000万円で足りないというのが問題だと思うのです。

何故こんな事に?

私の現在の賃金は年収650万円ほどで、国税庁の年齢別の平均賃金をやや下回っています。
金融資産の統計でも同じ事が言えますが、平均は金額の高い層に引っ張られますので、実際には一般的な50代より「少しだけ高い給料」を貰っているのではないかと思っています。

そして、私と同程度の給料を貰っていても、2000万円の資産を築くのは、日常的に貯蓄を意識していなければ相当に大変だと思います。
実際に、過半数の世帯の金融資産は2000万円以下、というデータも出ている訳ですしね。

何故こんなにも貯蓄が大変なのか? 逆に言えば貯蓄を必要とするのか?
私は経済学者でも何でもないので難しい理屈は判りませんが、それでも少子高齢化に、その一因があるのでは?という事は何となく理解できます。

資本主義社会では、働けない人(子供や高齢者など)を働ける人(現役世代)が支える、そのバランスの中で「国というシステム」が成り立っています。

少子高齢化社会では、子供の数が減って高齢者が増える訳ですから、プラマイゼロでバランスが取れそうですが、実際には子供が減る数よりも高齢者が増える数の方が上回っているため、国というシステムを維持するためには、高齢者にも「働かない側」から「働く側」に移ってもらう必要があります。

その為には収入を低く抑える一方で、生活費以外にも医療・介護・教育などでも多額の費用が必要な社会を作る。
そうする事で、より長く「働く側」に留まってもらう。

さらに「働く側」にいる限り、働き続けなければ生活出来ないので、万が一の事を考えると貯蓄しなければ不安で仕方がない
でも実際には生活で手一杯で貯蓄する事は難しい。だから更に頑張って働かざるを得ない

これが「一億総活躍社会」「生涯現役社会」の仕組みなのではないかと愚考しています。

貧富の差が大きい方が都合が良い

かなり前から貧富の差が大きくなっていると言われてきました。
実際に、経済を回す中心にいる人たち(超富裕層)と、彼らの下で働く人たち(マス層)との差は年々大きくなっています。

それどころか、懸命に働いても生活保護基準以下の賃金しか得られないワーキングプアなんて言葉も生まれました。
更に言えば、そもそも働いていないニートの数も87万人を超えるとも言われています。

でも国にとっては、貧富の差が大きい方が都合が良いのではないか? と最近では考えています。
何故なら、経済的に困窮する人が増えるほど「働かざるを得ない人」が増える訳ですから。

頑張って働かないと生活出来ない。
けれど、どれだけ働いても豊かにはなれない。

そんな人を増やして、年齢性別に関係なく働き続けて、税金や社会保険料などを納入して貰いたいというのが、政府の本音ではないでしょうか?

悠々自適の老後なんて考えてもらっちゃマズイ訳ですよ。
延々と働き続けて貰わないと。

セーフティネットは都合が悪い?

最近では日本のセーフティーネットの代表である、生活保護の敷居が高くなり、時には行き過ぎた対応が問題となって、ニュースになる事もあります。

しかし国からしてみれば、税収を増やして社会保障などの支出を減らさなければシステムが維持出来ない訳ですから、国民に生活保護など使って貰っては都合が悪いのではないか? と邪推してしまいます。

現在の日本の方針は、自立・自助、次に共助、そして公助(国に助けを求める)は最後の手段となっています。
実を言うと、私は基本的にはその考え方に賛成の立場を取っています。
(社会保障そのものは、国の責務だと思ってはいますが…)
しかし現在は、それが行き過ぎていると危惧しているのです。

まるで江戸時代の「農民は生かさず殺さず」を実践しているみたいですね…
そんな生き方は「自立・自助」とは言えないと思います。

生涯現役・女性の社会進出と言えば聞こえは良いですが、どれだけ働いても豊かに成れない人を、より多く確保する事に心血を注いでいるように思います。

自身の活躍の場を求めて、年齢に関係なく働く事はスゴイ事だと思います。
女性にも社会的に活躍する機会があって当然だとも思います。

でも「働かなければ生活出来ないから働く」というのは、チョット意味が違うのではないでしょうか?

日本は大丈夫なのか?

人口転換理論によれば、経済の発展にともない「多産多死」から「多産少死」を経て「少産少死」に至る過程を減るそうで、日本は「少産少死」の段階に来ています。

そしてアメリカを除く(アメリカは人口が増え続けています)、多くの先進国が似たような問題に直面し、様々な対応を模索しているようです。

ただ各国の政策を見ると、何とか「少産少死」のサイクルから抜け出そうとする事を中心課題としているように思います。

一方で日本はどうか?
少子高齢化対策など、表面的には「少産少死」のサイクルからの脱却を目指しているように思えますが、実際には「少産少死」を受け入れ、その中で経済発展する為にはどうすれば良いのか?という方向へ向かっているように感じられます。

年金の支給開始年齢を先に延ばし、定年も65歳~70歳へと伸ばし(これらは多くの国で既に行われているものですが、背景事情や保障制度が違います)、女性が安心して子育てしながら働ける環境作りには消極的(私の偏見かも知れませんが…)に見えます。
そんな政策から、少子高齢化社会から脱却しようとする意思が見えないのです。

そして……私の選択した道

日本は、金持ち父さん貧乏父さんのロバート・キヨサキ氏がラットレースと呼んだシステムとなっています。
そして、そんなシステムの枠組みを作っているのは、日本の経済の中心にいる超富裕層の人たちです。

私は一介の労働者で、言ってみれば箱の中のラットです。
ラットに箱の形(システム)を作り変える事は出来ません
議会制民主主義の国なんだから、主権者である国民には、その力があると言われれば、そうなのかも知れません。
けれど、国民が自らの力で箱の形(システム)を変える事を革命と呼びます
繰り返しますが、私はラットであって革命家にはなれません。
一時は、日本の在り方に疑問を持った事もありましたが、あれから数十年、もう疲れてしまいました(スミマセン)

日本の将来が不安と言っておきながら手の平を返すようですが……
私は、日本というシステムがどうなろうと、積極的に変革する側に立とうと思えないのです。
けれど自身の生活だけは守りたい。
結局、自分勝手な我儘なんでしょうね……判っています。
それでも、私はラットレースから降りたいのです。

ならばどうするか?
超富裕層と貧困層に二極化しつつある日本で、どちらにも属さない第三極を目指そうと思ったんです。
そう、FIRE(Financial Independence, Retire Early) です。

本当にFIRE出来るのかな? 不安は尽きません。
もしかすると、退職交渉が一向に進展しないのは、心の何処かにある不安が、無意識に退職する事を拒絶しているのかも知れません。
毎月安定して収入があるという安心感は大きいですから。

でも、残された時間に限りがあるのも事実。
どのくらいあるのかは判りません。十年? 二十年? あるいは明日まで?
それに、私には家族も居ませんので、守るべき者もいない変わりに、守ってくれる人もいません。
そんなボッチはオッサンは、大切な時間を自由に自分の為に使いたいのです。
だからこそ、不安は尽きませんがFIREしたいのです。

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