オッサンは、現在ボッチでFIREを目指しています。
そんな中で感じているメリット4つと、デメリットを3つ紹介したいと思います。
メリット1 人間関係の摩擦がない
おそらく結婚している全ての人が感じる事だと思いますが、まったく違った環境、違った習慣の中で生まれ育った人間が、一つ屋根の下で暮らすと、様々な摩擦が生じます。
小さな所では、洗ったお皿の置き方から、洗濯物の干し方などなど。
ちなみに、皆さんは靴下をつま先を下にして干しますか?上にして干しますか?
何だそんな事ぐらいと思った独身の方、そんな些細な事が夫婦喧嘩の元になるんです。
例え、その時は喧嘩にならなくても、小さな不満は積もり重なり、いつか大爆発します。
離婚した私が言うのも何ですが、結婚生活とは小さな問題に、いかに折り合いを付けるか、いかに小さな衝突のうちに解消していけるか? そう言った事の積み重ねではないでしょうか?
ボッチで生活していれば、そもそも摩擦を起こす相手がいないので、そういった事に気を使う必要が無くなる分だけ、精神的な負担は少ないです。
メリット2 金銭トラブルがない
こちらは、メリット1の人間関係の摩擦に近いですが、生活習慣などと同じように価値観は人によって違います。
そして現代社会では、価値はお金で換算出来る場合が多いです。
つまり、物やサービスにどれだけお金を出せるのか? それを高いと感じるか妥当だと感じるか?は人によって違ってくるという事です。
これは夫婦のみならず家庭内全般に言えるのではないでしょうか?
子供にとってはとても価値のある物だけど、大人から見れば只の我儘にしか思えない。
子供「あれ買って~~っ!」 親「ダメって言ったでしょう!」というやり取りは、もはや日常的な光景ですよね。
夫婦間でも「何故こんな事にお金を使うんだ!」というのも夫婦喧嘩の定番ですよね。
ボッチの場合は、誰かと価値観を共有する必要がないので、何が必要で何が不要なのかを自分で決められます。
節約生活もそうですが、投資を始めとした金融商品の購入も同じです。
私が以前に「FIREを目指すにはボッチは武器になる」と書いたのは、そう言う意味です。
メリット3 時間の自由がある
今は夫婦共働きの家庭も多いと思いますし、休日が合わないという事も普通にあると思います。
それでも子供がいる場合はもちろん、夫婦二人だけであっても、家族サービスの時間というのは、円満な家庭生活の為には、無くてはならないものだと私は思っています。
家族のコミュニケーションが円滑になりますよね
ですが、夫婦ともに土日が休みの仕事ならばともかく、休みが合わない場合には、どちらかに負担がかかります。
一度や二度ならば我慢も出来ますが、毎回となると「何故俺(私)ばっかり」という事になりませんか?
意外と、この「何故自分ばかり」というのは根が深いです。
その点でも、ボッチならば休日などの時間を誰かと摺り合わせをする必要はなく、どのように時間を使うのも基本的に自由です。
節約生活には金銭的な節約よりも、いかに時間を有効に使うかという事が大事だと思うので、時間の使い方に制限がないというのはFIREを目指す上で、大きなメリットとなり得ます。
(私の場合、あまりにも庭の手入れを放置した為に、近所から冷たい目で見られて……という事はありますが、これは自業自得ですね)
メリット4 親の介護問題
介護というのは、精神的にも肉体的にも金銭的にも、とても負担が大きいです。
もし兄弟がいた場合には、誰が面倒を見るのか?という問題が発生しますし、自身が面倒を見る事が決まっても、それをパートナーや子供達が納得してくれるかも判りません。
こうなってくると、FIREを目指すどころの話ではなくなってしまいます。
しかも、親を介護する事に納得した後でも、それぞれの家庭の事情によるのかも知れませんが、夫婦どちらか一方(お嫁さんの場合が多いのかな~)に、負担が偏る場合もあるようです。
この場合の「何故私ばかり!」という不満は、時間の都合を付けあう場合とは、負担の度合いがケタ違いなので、より深刻です。
私も一時期在宅医療に関わっていた経験がありますが、入退院時も含めてお嫁さん以外の家族を見た事が無いという事が良くありました(外からは見えないだけで、協力して介護しているの場合もあるのかも知れませんが…)
ちなみにボッチの場合は、他に頼る人もいない訳ですから、もう腹を括るしかありません。
良くも悪くも他に選択肢が無いわけですから。
私も両親の最後を看取って来ましたが、もっと色々とやれた事があるんじゃないかな~という後悔はありますし、おそらく一生背負っていく事になると思います。
それでも親族同志で争うような事を経験せずに済んだ、家族が争うような姿を両親に見せずに済んだ、というのは良かったと思っています。
デメリット1 保証人問題
最大のデメリットは、以前の記事でも書きましたが、誰も自分を保証してくれないという事です。
家を借りる事はもちろん、入院やら介護やらが必要になった時も、保証人が必要になりますが、私には自分を保証してくれる人がいません。
成年後見人制度や任意後見人制度を利用するという手段もありますが、自身に認知能力があるうちに使える制度ではありませんし、そもそも身元引受人ではなく、あくまで財産管理を行う制度です。
私は、私に万が一の事があった時に母が困らないようにと後見人制度を利用しましたが、手続きに必要な資料を揃えたりなど、結構な労力を必要としました。
それに、弁護士などの知り合いがいない場合には、裁判所に選定してもらう訳ですが、これもそれなりに時間がかかります。
保証会社と契約する手段もありますが、やはり出来る事には限界があります。
万が一の時はどうするのか? 元気なうちに考えておかなければならないのが、ボッチの最大のデメリットだと思います。
デメリット2 健康の維持が難しい
FIREを達成したとしても、健康でなければ意味がありません。
そういった点でボッチというのは、かなり厳しいと言わざるを得ません。
これは、衣食住の全てを自身で管理しなければという意味も勿論ありますが、それよりも大きな健康問題があります。
それは、ボッチは社会的に孤立しがちな事。
私のようにコミュニケーション能力に難があっても、やはり何等かの手段で社会と繋がっている必要はあると思います。
WHOの健康の定義では、健康とは、肉体的・精神的な面だけでなく、社会的にも満たされた状態であるとされていますし、スピリチュアル的にも健全な状態であれ、という文言が検討された事もあるようです。
スピリチュアルという言葉は日本語訳が難しいようで、書籍によっては「霊的」と直訳している物もありますが、私は「尊厳」と解釈しました。
WHOの健康の定義からは外れたようですが、尊厳を守る為にボッチな生き方を選択したのだけれど、ボッチであるが故に尊厳を守る事が難しいかも?と感じる事も多々あります。
何か哲学的な話になっていますね。オッサンの頭はパンクしそうです。
仕事をしていても「病院からも社会からも自分は必要とされていないのではないか?」という自己否定感に苛まれる事があります。
今の状況でFIREしたらどうなるんだろう? 良い方向に変わっていけるのでしょうか?
何とも健全な精神状態とは言い難いですが、これは私個人の資質からくるものなので、ボッチだからという事は関係ないですね。
デメリット3 ボケやすい?
デメリット2に通じる部分がありますが、孤独が認知症リスクを高めるという事が様々な研究によって明らかになりつつあります。
確かに、私も休日は誰とも会話しない事も多く文字通りボッチで過ごしていますが、日常生活の中で母が認知症を発症する数年前の状況にとても良く似た症状が出ています。
このままいけば、そう遠くない将来に認知症を発症する可能性が高いと思っています。(実はもう発症しているかも?)
それが、私がFIREを急ぐ理由の一つにもなっています。
おまけ
デメリットと言えるかどうか判りませんが、そう遠くない将来に私は両親の墓じまい供養を行おうと考えています。
私の家族は、もう私一人。
私が死んだ後は、誰も両親の墓を守る人がいませんから。
私自身は可能であれば樹木葬をして欲しいなと考えています。
ボッチは死んだ後もボッチなので、自身が死んだ後の事も(遺産なども含め)考えておかなければ、色々な人に迷惑をかける事になってしまいます。
その辺りは母の時にお世話になった司法書士さんからも言われていて、現在も考え中です。
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