住宅ローンはFIREへの重い枷? ローン返済に関する私の黒歴史、そして両親の愛

FIREについて

自分は、分不相応にも20代で家を建てました。
「いずれは孫と一緒に暮らしたい」という両親の希望を詰め込んだ、まさに夢のマイホームでした。

当然自分独りの力で建てられる筈もなく、両親に頭金を出してもらい、残りの約3000万円を35年で返すというローンを組みました。

重い住宅ローンを抱えていては、FIREする事は難しいです。
一方で住居費が支出に占める割合はかなり大きいので、マンションなどの高額な家賃を払い続けるても、負担が大きくやはりFIREは難しくなると思います。

私自身、なるべく早く住宅ローンは完済しようと思っていました。
しかし、私がローンを完済するまでの過程は、かなり酷いものだったので、暗い記事になってしまいますが、少し書いてみたいと思います。

住宅ローンを返済しながらアパート生活

家を建てたのはいいけれど、実を言うと私は家に住んでいませんでした。
新しい家には両親に住んでもらい、自分自身は別にアパートを借りて住んでいました。
「えっ?何それ?」という感じですが、当時付き合っていた彼女と同棲をしていたんです。

50年を超える人生の中で、その時期に関しては彼女との生活が全てと、自身の価値観が大きく変わりました。

本当に彼女に好かれたい
それしか考えていませんでした。

これは、決して彼女が悪い訳ではなく、自分を実際以上に大きく見せたかった、つまり見栄を張りたいが為だけに浪費を続けていました。
若気の至りというんですかね~(T_T)

彼女には、一緒に暮らすなら家庭に入り家事に専念したいという希望があり、彼女自身はほぼ無収入に近い状態でしたので、アパートの家賃や生活費など、ほぼ全てを私が出す事になりました。
実家のローンも含めて、本当に生活は苦しかったです。

詳しくは書けませんが、彼女には彼女なりの過去というか背景事情があったので、それを尊重してあげたいと考えていました。

一方的に自分が思っていただけで、
彼女には逆に負担だったかも知れません

今考えると、それでも無理があったんじゃないか? と色々思う所はありますが、一度結婚に失敗した事のある私にとって、真剣に悩んだ末の選択だったんです。

二重生活の結末

家のローンを払いながらアパートに住む二重生活を数年間続けました。
当然毎月の生活は赤字だったので、少しづつ貯金を切り崩しながらの生活でした

そんな生活だったのに、実家へ仕送りもしていました。
両親は、まだ現役で働いていたので「要らない」と言われていたのですが、勝手に家を出てアパートで暮らしていく上での、私なりの最低限のルールだと当時は思っていました。

これも自分の考えを押し付けていただけ
両親には心配の種を増やしていただけと
後になって気づきました。

そんな厳しい生活を続けながらも、一応は彼女と結婚出来たのですが、やはり長くは続けられませんでした。
離婚に至った原因は色々ありますが、最終的には彼女が出ていく形で、私の短い結婚生活は終わりを迎えました。

そして離婚した時、私の普通貯金(財形貯蓄等は除く)は、ほぼゼロになっていました。
本当に何をやっていたんでしょう? 彼女の心を傷つけ、両親にも心労をかけ、多くのお金を失い、周囲の全てを巻き込んで不幸になっただけでした

住宅ローンの繰り上げ返済

無一文で実家に戻った私は、死に物狂いでローンの返済をしようと考えました。
両親に孫の顔を見せられないのは申し訳ないと思いつつも、ボッチで生きる事を決めた私にとって、住宅ローンは重い枷にしか思えなかったんです。

もちろん当時はFIREという言葉は知らなかったし、早期退職なんて夢にも思っていませんでしたが、とにかく自由になりたかったんです

運用する資金もありませんでしたし、副業も就業規則で禁止されていたので、ローンを繰り上げ返済する為に残された手段は、とにかく節約する事だけだと思い込んでいました。

月々のローンと実家の生活費、それ以外は全て貯金に回しました。
病的(実は本当に心を病んでいました)にお金を使わなかったですね。

娯楽も全て捨てました。
もともと酒もタバコも吸わなかったのですが、書籍も雑誌すら買いませんでしたし、ガリガリ君一本さえ買いませんでした。

友人との付き合いも頑なに断り続けて、最終的には友人も離れていきました

周りの声にも、一切耳を傾けなかったので

孤立するのも当然だと思います。

そんな生活を約7年続けて、ローンを一括返済したのです。

ストレスの果てに

ムチャクチャな節約生活は、当然ストレスが溜まります。
どうやってストレスを発散していたかというと、ひたすら走っていました。

10キロのジョギングコースを設定し、ほぼ毎日走っていました。
休日などは、正確な距離は測ってませんが4~5時間は走っていたので、おそらくフルマラソンに近い距離を走っていたのだと思います。

既にこの辺りから

まともな精神状態では無かったと思います。

そんな生活を続けたある日、職場から精神科への受診を勧められました。
自分では気が付かなかったのですが、職場内での奇行が目立つようになっていたらしいです。

受診の結果、うつ病と不安神経症という診断が下り、仕事も1カ月の病気休養を取る事になりました。
薬の効果だったのか、自分の心身が本当に限界を迎えていたのか、本当に寝たきり状態で1カ月を過ごしました。

死後に知った両親の愛

どうにか住宅ローンを完済した後、私が感じたのは達成感でも解放感でもなく虚無感だけでした
ローンは完済したものの、変わりに失ったものが多過ぎたからだと思います。

私の周囲からは人が消え、父も心労から潰瘍性大腸炎を発症し、職場での信用も失いました。
私自身の病の方も、現在も完治せず燻り続けています。

住宅ローンは早期に完済すべきという考えは今でも変わりませんが、もっと他にやり方が無かったのかと、今更ですが考えてしまいます。

そして、そんな私の将来を両親がどれほど心配していたかを、父の死後に知る事になりました。

アパート時代に私が送り続けていたお金、実家に戻ってから入れていた生活費、その全てを私名義の銀行口座に預金してくれていました。

結局、自分が頑張って返済していたつもりが、実際には負担の全てを両親に背負わせていたに過ぎませんでした。

本当に自分の事しか考えない
親不幸なバカ息子でした。

父の死後に見つけた通帳には、かなりの金額が貯まっていました。
その金額の大きさが、両親の心労の大きさのように思われて、とても心が痛いです。

これから住宅ローンを組む人へ

住宅ローンは、何十年と付き合っていく長い旅です。
一人で歩くには辛すぎる旅です。

誰か一緒に歩いてくれる人(パートナー)がいない人は、長期の住宅ローンを組むべきではないと、個人的には考えています。

一緒に歩いてくれる人とは、金銭的な支えという意味ではなく(そういう場合もありますが)、返済に挫けそうになった時に支えてくれる人という意味です。

ちなみに、支えてくれる人には両親や兄弟も含まれるのかも知れませんが、やはり対等なパートナーの存在が望ましいと思います。

もちろん十分な資産がある人は別ですが、一人で長期のローンを組むならば借家の方が自由な人生が送れると思います。

私のように途中で旅に疲れてしまうと、自分の肉体や精神、或いは人間関係に重大な問題が生じてしまう可能性があるからです。

当然、一人でローンを返し続ける事の出来る、強靭な精神力を持った人もいるでしょう。
そういう猛者から見たら、私の考えなど単なる「弱者の戯言」に過ぎないのかも知れませんが……

FIREへ向けて

父が遺してくれていたお金は、申し訳なさも手伝って、現在まで一切手を付けずに謂わば塩漬けにしていました。

しかし、父が亡くなり10年が経ち、自身にもFIREという目的が出来た為に、そのお金を使おうかと考えています。

少しづつインデックス投資に分散投資する事で、ポートフォリオをもう少しだけ投資寄りにしたいと思うのです。

FIREの為に貯金を使おうと考えている私を、両親が生きていたら何と言うだろう……

そんな夢物語に使わせる為に貯めていた訳じゃない! と怒られるかな?

定年後は働きたく無いなんて、無謀だと反対されるでしょうか?

「それも一つの生き方だ」と認めてくれるでしょうか?

いずれにしても、それなりの根拠というか、説得力がなければ認めてくれないだろうと思います。
でも、現在も壊れつつある私の心が、限りある残り時間を悔いの無いように生きたいと叫んでいるんです。
だから、今は亡き両親にも認めて貰えるようなFIREへ道を、これからも探していこうと思います。

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