ボッチなオッサンは、来年3月末でのFIREを目指しています。
今回は、単なる中小病院の放射線技師のオッサンが、FIREの最大の課題である資金確保に、どうやって取り組んで来たのかを少し書いてみたいと思います。
「金持ち父さん貧乏父さん」という本との出会い
「金持ち父さん貧乏父さん」は、FIREを目指す人にとって、必須の課題図書のような本なので、知っている方も多いと思います。
ですが私の場合、実を言うとこの本を読んでお金持ちになる道を諦めました。
正直に言って、自分には起業する事も、現在の仕事をリタイアする事も無理だと感じました。
尤も、こうしてFIREを目指している訳ですから、諦めたというのは正確ではなく、変化したという方が正しいかも知れません。
それでも、この本との出会いは私にとって、本当に衝撃的なものでした。
子供時代から孤立しがちだった自分の考え方が、そこには書いてありました。
金持ち父さんから学んだこと
具体的に何が書かれていたのかと言うと、必要な支払いを行い、その後に残ったお金が自分の物という考え方を逆転させ、まず「自分の為にお金を確保し」残ったお金で必要な支払いをするという考え方です。
以前に「欲しい物貯金」の話を記事にしましたが、収入から予め自分(目的)の為の取り分を確保しておき、残りで娯楽も含めた生活を賄う。
そんなお金の使い方を金持ち父さんは話していました。
金持ち父さんは、それが「お金持ちになる為の考え方」と言っていましたが、私にとっては、子供時代から私が皆と違うという違和感、悩んでいた価値観そのものだったように思います。
「ケチで嫌なヤツ」だった子供時代
子供時代は、同じ玩具を持っている事が友達の証明の一つでした。
でも子供時代の私は、玩具にお金を使う事が理解出来ませんでした。
「みんな、何で好き放題に小遣いを使って遊ぶのだろう?」
「何で流行のオモチャを持っていないだけで仲間外れなのだろう?」
仲間外れやイジメは、これだけが原因ではないですけどね
私には他の子供達の考えている事が理解できませんでした。
まずは小遣いから貯金(本当に欲しい物)の為に金額を取り、その残りのお金で遊ぶ、或いは残った小遣いで買えるオヤツを探す。
それが、私の「楽しい遊び方」だったのです。
そんな私は周囲からは、とても異質に見えたようで「ケチで変な奴」というのが私の評判でした。謂わば金の亡者的な感じでしょうか?(^^;
肯定されて嬉しかった
子供の頃から、他人との付き合い方が下手だった事の根底にも、そうした習慣というか価値観の違いがあったのかも。
そんな変な子供時代を経て大人になり、貯金はやがて積み立て投資へと向かいます。
まだまだ私の周囲では投資は一般的ではなく、私自身も「投資はギャンブル」という考え方から抜け出せず、決して一攫千金を狙っていた訳ではなかったのですが、やはり「金の亡者らしいお遊び」という目で見られていたと思います。
そんな自分が、金持ち父さんの言葉に「自分の考え方は間違ってた訳じゃないんだ!」と教えられ、始めて自身が肯定されたように感じられ、とても嬉しくなりました。
ボッチだなんだと言いながら、やはり他人の目が気になるというか、承認欲求の塊みたいですね。
「ケチで変なヤツ」という評価は的を射ていたのかも知れません。
但し20代の一時期、こんなボッチな自分にも好きな女性が出来て、散財しまくっていた時期がありました。
良く恋は盲目といいますが、
自分の場合はボッチ故の承認欲求から
冷静な判断が出来なくなっていたんじゃないかな?
リーマンショックを越えて
長年の「投資はギャンブル」という固定観念から抜け出せないまま、投資を始めて少しした頃、リーマンショックに遭遇しました。
その時は「やっぱり投資はギャンブルなんだ」「欲をかき過ぎた自分が悪いんだ」と、投資から手を引こうと思いました。
それでも小心者の自分は、今度はそれまでの習慣を変える事が怖くなり、不安を抱えつつも積み立てを継続しました。
そう、一度始めてしまった事から、怖くて手を引けなくなってしまったというのが投資を続けた真相です。
これが個別株だったとしたら、
損切りに失敗して、大きな損失を出す
典型的なパターンですよね。
決して、先を見据えての行為ではなく、恐怖心から止められなかっただけ。
何とも情けない話ですが、後にこれが効を奏します。
貯金と投資と「欲しい物貯金」と
子供の頃、ポテチ欲しさに一日5円から始めた私の貯金癖。
それが、やがて月に100円になり1000円になり、社会人になってからは月に1万円を超えました。
そして投資を始めてからも、最初は本当に少額から始めて次第に金額が大きくなり、やがて積み立て額は月に10万円を超え、年間の貯蓄率も40%を超えました。
(20代の頃、若気の至りで貯蓄率がマイナスになった事もありましたが……)
欲しい物貯金も一定額に達したら投資に回し、こちらも結構な金額が積み上がっています。
そうして気が付けば、私の貯金生活も50年を超えていました。
金持ち父さんの考え方、貧乏父さんの生き方
私は金持ち父さんの考えを支持します。
でも、私には事業を起こす才覚もなく、貧乏父さんの生き方を選びました。
私は子供の頃から虚弱で、母が看護師だった事などもあり、私の側には常に医療が身近にありました。
そして金持ちでも貧乏でも、誰だって病気になる(最近ではSDHという考え方もありますが)
だったら、病気を治す役割も必要でしょ? という単純な発想で私は医療の道へ進みました。
もちろん私の成績では医師になる事など夢のまた夢でしたけど。
こうして、金持ち父さんに憧れながら、貧乏父さんの仕事をする「ドケチで嫌な放射線技師」の出来上がりという訳です。
思い出と現実とFIREと
私は、現在の職場に30年以上勤続しています。
けれど、私の心は学校を卒業して初めて就職した、とある病院の職員のままのような気がします。
どこかで、現在勤務している病院と新卒で働いていたその病院の共通点を探しては、自分を納得させてきました。
ですが、思い出はより美しくなり、現実は厳しさが増していくもの。
理想と現実の乖離は、耐え難いものになってしまいました。
昔の病院時代の友人に聞くと、新卒時代にお世話になった病院も様変わりし「当時の面影は欠片も残っていない」との事。
思い出の病院は、やはり幻想に過ぎません。
それでも、幻想を追い求める心は止まりません。
やがて……現実から離れて、自分の時間を好きなように生きたいと思うようになっていきました。
そんな中で出会った言葉がFIREでした。
もちろん、子供時代にFIREなんて考える筈もありませんし、50年前には、そもそもFIREなんて言葉は無かったと思います(考え方自体はあったのかも知れませんが)
ですが、これまでの50年に渡る貯蓄生活も、心のどこかでFIREを求めての事だったように思うのです。
私は来年の3月末でのFIREを目指していると冒頭で書きました。
けれど訂正します。私は来年の3月末でFIREします!
もしかすると、FIREしても、私の生活は何も変わらないかも知れません。
それでも、私はFIREします。
これは、私の、私自身への宣誓です。
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