私はFIREを目指している訳ですが「FIREなんて目指しても良い事ないよ」という意見を、ブログやYOUTUBEなどで良く目にします。
私自身も、そんな意見に「確かにそんな面もあるよな~」と納得出来る部分も多いので、今日はその辺りについて書いてみたいと思います。
FIREしたら社会的な信用が落ちる
もし皆さんがFIREしたとして、周囲からはどう見えるでしょう?
例えばフルリタイアした場合、貴方の肩書は無職になります。
仮に、若くしてFIREを達成して実家に暮らしていた場合、近所の人の目にはFIREとニートの区別がつくでしょうか?
そんな世間の目なんて気にしないよという場合でも、社会的な信用が落ちるというのは、色々な場面で実感すると思います。
例えば、会社員時代には普通に作れたカード類も、審査に落ちる可能性が高くなります。
実家を出てアパートなどを新たに借りようとしても、よほど保証人に恵まれないと借りるのは困難です。
私のようにボッチでFIREとなったら、そのハードルは更に一段高くなります。
何だかんだと、日本では会社員(特に正社員)という肩書の信用度はとても高いのです。
FIRE目指すと友人を失う?
FIREを目指すと、ある程度の節約は必要になって来ます。
飲み会を始めとして友人からの遊びの誘いなども、断る場面が多くなります。
その程度で崩れるような関係じゃない!という人もいるでしょう。
ただ、そんな「心の友」と呼べる人ばかりでもないので、疎遠になった友人は離れていくというのは自然な流れです。
そもそもFIREの認知度も上がってきましたが、まだ知らない人も多いし、「自分はFIREを目指しているから」と、友人との付き合いを断って「ああそうか」と理解して貰える場合の方が少ないのではないでしょうか?
ましてや一回二回ならともかく、頻繁に付き合いを断っていたら、そりゃあ疎遠にもなりますよね。
子供へ悪影響が出る場合がある
実は私の父も、あまりお金にならない職業(?)をしていて、学校に提出する書類の職業欄には「団体職員」と書くように言われていました。
団体職員って、具体的にどんな仕事をしているの?と聞かれても、答えられない場合も多く、おそらく当人は何の悪気も無く「お父さんは何してる人?」と聞いているのでしょうが、私はそう聞かれる事がとても苦手でした。
一応働いて(?)いてさえ、そうだったのですから、親の職業欄に無職と書くような事になったら気まずいんじゃないかなぁ?
いっそ「個人投資家」と書く? 先の項目でも書きましたが、まだまだ現在の日本では公務員や会社員の信用度が高いので、個人投資家と名乗っても胡散臭い目で見られるのがオチのような気がします。
子供がイジメられるキッカケになってしまうかも? と言うのは余計な心配ですかね?(決して個人投資家の方を貶める意図はありません)
ましてや、自身のFIREの為に、子供の教育費など必要な出費を削るのは、親のエゴに子供を巻き込んでいる以外の何者でもありません。
貴重な時間を失う
FIREを目指す場合、収入の多くを投資や貯蓄に回す必要が出てきます。
有り余るほどの収入を得ている場合はともかく、日常生活に何らかの制限を設けなければ、FIREなんて達成出来ません。
欲しい物も買わず遊びにも行かない。そんな生活が十年二十年と続く。
しかも一番身体も動いてアクティブに人生を楽しめる、20代30代という貴重な時代を、節約ばかりして過ごすのは、もの凄く人生を損しているように思いませんか?
一番遊べる時に遊ばない。友人とも疎遠になる。そうまでしてFIREを目指してどうなるのでしょう?
或いはFIRE後にも、新たな友人関係を築ける人もいるかも知れませんし、FIREしてからが人生のスタートだと思う人もいるかも知れません。
しかし、20代30代というのは、遊びだけでなく仕事上の人間関係やスキルなど、様々な人的資源を獲得できる大切な時間です。
20代30代だからこそ出来るという事も無数にあります。
そんな貴重な時代を、厳しい節約という枷をはめて、有意義に過ごせるでしょうか?
FIREしてからが、本当の人生のスタート。そう考えるのは個人の自由ですし、決して否定はしませんが、失った時間は取り戻せないというのも事実だと思うのです。
後述しますが、FIREする事自体が目的になって貴重な時間を失うのは、後に後悔する事になるような気がして仕方ありません。
こちらのYOUTUBEの動画の意見は、なるほどな~と感心させられました。
興味があるようでしたら、是非一見(一聴?)する事をお勧めしたいと思います(勝手にお勧めなんてして良いのかな?)
突然の病気やトラブル
必死にお金を貯めて、何とかFIRE出来るだけの資産が出来たとして…「さあ、これから人生楽しむゾ!」と思っても、タイミング悪くその時に病気になってしまったり、事故などの何等かのトラブルで、人生を楽しむどころではなくなってしまう場合もあります。
実際に、私の知人にも40代で癌を発症し、当時小学生だった子供を残しては逝けないと、必死に頑張ったけれど、それも叶わず命を落とした人がいます。
まだ30代にも関わらず重度の脳梗塞を患い、未だに闘病を続けている人もいます。
私も、かつての交通事故で相手が死亡してしまっていたら、おそらくは現在の生活は無かったと思っています。
どんなに注意していても、避けられないトラブルに遭遇する可能性はゼロではありません。
もしも、それがFIRE達成直後だったとしたら……
経済的に破綻するリスク
計算上はFIREが可能な資産が出来たとしても、所詮は机上のシミュレーションに過ぎません。
世界的な大恐慌、超インフレのリスク、予期せぬ大きな出費。
そういった事で計画が破綻する事など、普通に起こり得る話です。
一度リタイアしてしまったら、20代や30代ならともかく、40代以上になれば、やり直す事は困難になるでしょう。
まして50代を過ぎて安易な道を選んでしまえば、待ち受けるのは老後破産の悲惨な未来です。
それならば、現在の仕事に多少の不満はあっても、可能な限り長く働き続ける事が、それらのリスクを最小限にする最も有効な手段なのではないでしょうか?
FIREしても退屈なだけ
仮に、FIREを達成出来たとして、その後はどうするのでしょう?
毎日仕事中心で生きてきたアナタが、新しい生き方を見つけられるのでしょうか?
定年した私の先輩は、定年で自由になれたと思えたのは最初の数カ月だけだったと言います。
FIREの先に、そんな退屈な時間が待っているだとしたら、FIREの意味って何なのでしょうか?
私は、人生には目的なり目標なりが必要だと思っています。
FIREする事自体が目的になってしまえば、達成した時点で目標を失います。
10年・20年と人生を掛けて挑む新たな目標が、そう簡単に見つけられるとも思えません
そんな大層な目標ではなく、長く楽しめる趣味があるなら、それでも良いと思いますが……
自由を得たいと目指したFIREの筈なのに、達成した途端に不自由で退屈な人生が待っているだけなんて本末転倒ですよね?
アナタは、何の為にFIREを目指すのでしょう?
まとめ
頑張ってFIREを目指しても、幸せになれない理由を7つほど上げてみました。
1.会社員という社会的な信用を失う
2.友人関係を損なう
3.子供を巻き込んでしまう危険性がある
4.貴重な時間を失う
5.FIRE後のトラブルで全て台無し
6.計画が破綻する可能性がある
7.FIREしても退屈なだけ
どうでしょうか?
皆さんは、こんな危険性を冒してまでFIREを目指したいと思いますか?
私の考え方
お前はどうなんだよ? FIREを目指すとか言ってるじゃねえか!と言われそうなので、私の場合…というか、私なりの考えを述べたいと思います。
社会的な信用を失う事について
今から新たなカードを作る予定もなく、自宅のローンも完済済みなので、新たにアパートなどを借りるつもりもありません。
なので、あまり社会的な信用を必要とする場面は多くないのでは? と思っています。
世間の目に関しても、それほど頓着はありません。
既に両親ともに他界していますし、元々私の社会的な信用なんて最底辺なので、今更世間の目を気にしてもなぁ…と言うのが正直な感想です。
とはいえ、入院や介護施設への入居など保証人が必要な場合もありますので、その辺りの対策は考えておく必要はありますね。
友人関係を損なう事について
ボッチ生活30年は伊達ではありません。
胸を張れる事ではありませんが、友人などとっくの昔から存在していません。
子供への悪影響について
これも友人関係と同様に、そもそもボッチなので子供がいません。
貴重な時間を失う事について
半分趣味で節約生活をしていた事もあり、実はそんなに苦しい生活をしていたという感覚がありません。
それに20代・30代は結構バカな事もしていたので、それほど貴重な時間を失ったとは思っていないのです。
この辺りは、価値感によって感じ方が違うのだと思います。
突然のトラブルについて
これについては、FIREを目指すとか目指さないとか関係ないと思っています。
交通事故については気を付けたいと思っていますが、病気についてはどうしようも無いですよね。
せめて健康に気を付けるとか、定期的に健診を受けるとかでしょうか?
それでも避けられない病気もあるので、その時は仕方が無いですね。
転職の可能性について
私の場合も働く事自体と言うよりも、現在の勤め先にいる事が苦痛というパターンなのですが、さすがに58歳なので転職してキャリアアップとかは考えられません。
とは言っても、何等かの仕事をする可能性もゼロでは無いですが、これ以上現在の勤務先に居続ける事は、私の心身に取り返しの付かないダメージが刻まれる可能性が高いので、何としても退職したいと考えています。
計画が破綻する可能性について
確かにリスクはあると思っています。
私自身も、計画通りに事が進むなんて信じていないと言っても過言ではありません。
けれど、病気についてもそうですが、それを言っていたら一歩も前に進めないのでは?とも考えいるのです。
良い年をして甘い考えだと判ってはいるのですが、ダメな事を列挙して行動を起こさないよりも、行動してダメだった時には打開策を考えよう。
今はそう考えています。
退屈な人生が待っているかも?という事について
こればかりは、実際にFIREしてみないと何とも言えないというのが正直な感想です。
もしかすると先輩方と同じように、退屈に耐え切れず就職活動をし始めるかも知れません。
それでも、やってみたい事も有るには有るのですが、あまりに現実感が無いというか、おそらく個人で出来る事では無いので、色々な人と関係を持つ事から始めないといけないんですよね。
社会的な信用の所でも書きましたが、現在の仕事を通じての人脈を活かす事が必須となってきます。
だからこそ、現在の仕事を穏便に退職したいと苦労している訳なんですけれど…(^^;
どう生きるか? どう死ぬか?
私の生き方に大きな影響を与えてくれた医師が三人います。
一人目は「病院で死ぬということ」という本の著者である山崎章朗先生、二人目は「問題が起こるのはしゃあない」という事を教えてくれた中村恒子先生、そして三人目は私の叔母を看取ってくれた、緩和ケアの専門医である萬田緑平先生。
直接お話を聞く機会に恵まれたのは萬田先生だけですが、三人の先生の考えや著作物に触れて、私は「どう生きるか?」と同じくらい「どう死ぬか?」について考えています。
まだ両親が健在だった頃から、それこそACP(アドバンスドケアプランニング)なんて言葉が存在する前から、死ぬという事を意識して生きてきました(日本語としておかしいですかね?)
どこかの世紀末覇王のように「我が人生に一片の悔い無し!」と言えるような死に方は望むべくもなく、みっともなく生き足掻くと思いますが、それでも「死」という絶対的なモノから、目を背けずに生きていきたいとは思っています。
だからこそ、私にとっては1年2年という時間が貴重なのです。
そして、その思いこそがFIREを目指そうという原動力になっています。
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