FIRE後に待っている3つの不安と、どう向き合っていくか?

FIREについて

FIREしたら、夢のような生活が待っているように思います。
ですが、実際にはデメリットもあると言われています。
そんな不安要素について、オッサンがどう考えているかを記事にしてみようと思います。

FIRE後の3つの不安

FIRE後の不安(リスク?)として、良く言われている事は、主に次の3点だと思います。

1.資金が枯渇するリスクがある。
2.社会から孤立してしまう。
3.時間を持て余して退屈な人生になる。

ブログやYOUTUBEなどでも、こう言った意見を目にする事が多いですし、実は私自身も、これらについては不安に思っています。

こうした不安と向き合う為に何をすれば良いのか? と、色々考えてみましたが、一時期流行った「死ぬまでにしたい100のこと」を考えるというのが、私なりの答えというか不安と向き合う方法でした。

資金が枯渇する不安

まずは「資金が枯渇するかも?」という不安に、何故「死ぬまでにしたいこと」を考える事で向き合えるのか考えてみます。

……と、その前に何故資金が枯渇するのか?
それは、思った以上に支出が多く、十分だと考えていた資金では足りなかったという事ですよね?
これって、結構ありがちな話だと思いますが、最悪の場合は路頭に迷ってしまう重大事です。

尤も、これはFIREうんぬん関係なく、誰にでも起こり得る事で、おそらくFIREする殆どの人は、そうしたリスクも含めて早期退職に踏み切るのであって「自分のFIREは完璧! 今後の生活も絶対に安泰だ!」と言える人って、どれほど居るのでしょう?

リッチリタイアとプアリタイア

「リッチリタイア」「プアリタイア」という言葉をネットで見つけました。
この言葉は造語だそうなのですが、本当に良く出来た言葉だと関心しました。

お金も時間も余裕のある場合はリッチリタイアで、質素な暮らしを続けるのがプアリタイア(セミリタイアも含む)という事だそうです。

この考え方のキモは、金銭や時間に余裕があるとか質素な生活とかは、その人の価値観によりますが、価値観は不変ではなく、時間と共に変化していく可能性があるという事です。

価値観は変わっていくというのは、一見当たり前の事のように思えます。
けれど、そんな当たり前の視点が私には欠けていました。

「質素な生活は貧乏じゃない!」は大嘘?

私は現在の生活に概ね満足していると言ってきましたし、それについては嘘を吐いているとは思っていません。
逆に言えば、自覚が無いからこそタチが悪いとも言えるのかも知れません。

つまり、将来も現在の生活スタイルで満足できるのか?と言われると、FPから注意されたような「オラ東京さ行ってタワマンに住むだ!」なんて事に憧れる可能性だってある訳です。
しかし、そんな事を言い出したら、その時点で私のFIREは終了します。

そう考えると、私のFIREは生活スタイルを自由に選択出来ない「プアリタイア」だという事になりますね。

けれど、もっと優先的にやりたい事があるのであれば、まずはそちらにお金を使いますので、それだけでも「タワマンに住むゾ!」的な無謀な価値観への変化は抑えられる気がするのです。

社会的から孤立してしまう

元々ボッチな自分ですが、社会的に孤立するリスクについては日頃から考えています。

以前にも記事にしましたが、WHOの健康の定義によれば「社会的にも満たされた状態」である事が健康の要素の一つという事ですので、社会から距離を取って生きたいという私の願いは「不健全」な生き方なのかも知れません。
それに、認知症のリスクが高まる点についても、以前の記事で触れました。

こんな、人とのコミュニケーションが苦手な自分ですが、社会から孤立する事を回避するには、何らかのコミュニティとの繋がりを持つ必要があるのだと思います。

私などが所属し得るコミュニティが存在するのでしょうか?
真剣に考えなければいけないと思ってはいるのですが…

一人で出来る事には限界がある

こうした社会から孤立してしまう不安に対しても、果たして「死ぬまでにしたいこと」を考える事が解決策になるのでしょうか?

試しに、どんな事がしたいのかと、とりあえず「20個くらい」適当に書き出してみました。
そうしたら、一人では到底出来ない事がとても多い事に驚きました

誰かの協力なしには出来ない、誰かと繋がりを持たなければスタート地点にも立てない、そんな事も多かったです。

今回書き出したリストには入っていませんが、私は過去に殺処分される犬や猫たちを少しでも救えないかと、様々な動物保護団体と連絡を取りながら、そうした保護犬、保護猫などの情報交換をするホームページを運営していた時期がありました。

一時は、とある雑誌の取材を受けるなど一定の認知を得ましたが、やはり批判的な意見を持つ人も多く、住所や家族構成など個人情報を特定されて、脅迫メールなども届くようになりました。
当時はまだ家庭を持っていた事もあり、家族の安全の為に閉鎖せざるを得ませんでした。

それと、自治体などと協力関係を築きながら活動する団体がある一方で、動物愛護とは無縁の詐欺まがいの営利目的の人たちが一定数いる事や、周辺住民の理解を得られずトラブルになる団体もあります。
そうした事を、肌で感じる事が出来たのは、良い機会だったと思っています。

話が逸れましたが、何かをしようと思った時、一人で出来る事には限界があり、誰かの助けがどうしても必要になる。
つまり社会から孤立する事を防ぐ事にも繋がるのではないか?と思うのです。

時間を持て余す

では「時間を持て余して退屈な人生になる」についてはどうでしょう?

これは、定年した私の先輩が言っていた言葉ですが「俺は自由だ!」と、思えたのは最初の数ヵ月だけで、その後は「毎日どうやって時間を潰そうかと考えるのが苦痛だった」そうで、その人は現在、病院のボランティアとして活動しています。

これは二つ目のデメリット(リスク)である、社会から孤立してしまうという事とも関係していると思うのですが、その先輩は「朝から酒を飲んで一日を過ごしていたが、このままでは自分はダメになってしまうという焦燥感に苛まれて、無給でも良いから誰かの役に立ちたい」と、ボランティア活動を始めたそうです。

私は当面は心身ともに休息を取り、その後の事は元気になってから考えようと思っていましたが、そんな事をしているうちに、逆に状態が悪化してしまう場合もありそうですね。

逆に時間が足りない?

死ぬまでという時間制限の中では、どれほど下らない事であっても、やりたい事が100個もあれば、綿密に優先順位を決めて、かなり計画的に実行する必要が出てきます。

ちなみに、私は何かをするのに計画を立てるのは大好きです。
ただし計画通り実行出来た試しがありませんが(苦笑)

例え、優先順位を決めて計画的に取り組んでも、実際にやり遂げる事は難しいでしょう。
おそらくは毎日を必死に生きなければ到底出来ません。

もちろん、先にも述べた通り、100の事の内容は時間と共に変化していく可能性はあります。
でも、それでも「やりたい事が見つかる」だけでも良いじゃないですか(笑)

適当に考えてみた20個でも、そのうち何個が実際に出来るだろう?
おそらく、半分も実現すれば良い方じゃないかと思います。

べつに壮大な夢を掲げた訳ではなく、家を片づけるとか、庭を手入れするとか、そんな事が多いのですが、それだって現在の家の惨状を考えれば、一人でやろうと思ったら、かなり時間と労力を費やさねば出来ないと思います。

自分で選択する事に意味がある

「死ぬまでにしたいこと」を考えてみると、仕事に追われる現在よりも苦労の多い生活が待っていそうな予感がしてきました。

きっと現在よりも、仕事量としては多くなるんじゃないかな? 勉強しなければいけない事も多そうなんですよね~(^^;

ただ、現在の仕事と決定的に違うのは、それが誰かに決められた事ではなく、自分で選択した事だという事。

これはとても大きな変化だと思います
もちろん、思い通りに事が運ぶなんて思っていませんし、むしろ「何で思うように進まないんだよ!」と落ち込む事の方が大きいのでは?と考えています。

それでも、現在の他人言われるままに「何故こんな事を……」と疑問に思いながら日々生活していくのとは、まったく違う苦悩になると思うのです。

そもそも、やりたい事が100個も見つからない可能性の方が高いような…(苦笑)

とは言うものの

まずは休息を取りたいという考えは変わっていません。
死ぬまでにしてみたい事も適当に考えただけですので、本格的にどうするかは、休息を取る中で考えていきたいと思っています。

最近「心に折り合いをつけて うまいことやる習慣」(中村恒子・奥田弘美共著・株式会社すばる舎)という本を読みました。

その中に
どこへ行ってもいっしょ、何になろうともいっしょ
問題が起きるのはしゃあない
突き詰めるとそんなに大したことはありません。前向きに、気楽にですわ
というセリフが出てきます。

結局FIRE後の人生も一緒で、どんな生き方でも大変さはあるし、不安も抱えながら生きるのだと思います。
けれど、恒子先生のよう考えられたら良いなと思います。
私にも出来るのかな?

何が起きても、どんな不安があっても「突き詰めればそんな大したことは無い」と「前向きに、気楽に」生きる事が出来たら素敵ですよね。

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