FIREして改めて考えて見る ボッチは孤独なのか孤高なのか?

FIREについて

先日読んだ本に、一人暮らしの高齢者は自身を孤独であると感じている人が多いが、自分は孤独なのではなく孤高であると考えているという一文がありました。果たしてオッサンの場合は孤高と言えるのでしょうか?

結論から言ってしまえば……

自分の事を孤独だと考えるか孤高だと考えるかは、自分次第でどうとでも捉えられますし、孤独だと落ち込むよりは孤高なのだと胸を張って生きる方が、何事にも前向きに取り組めるし精神衛生上良いと思います。

結局のところ、全ては自分次第と言っても良いのかも知れません。

オッサンは豆腐メンタルなので、今まで自身を孤高だと考えた事は無かったのですが「決して長くは無いであろう残りの人生をどう生きるのか?」と考えた時、孤独を感じながら生きるより孤高な生き方に憧れを感じるのです。

実際には表現が違うだけで、ボッチで生活しているという事実が変わる訳では無いので、本当に気持ちの問題だけかも知れませんけどね(^^;

孤独と孤高の違い?

孤独と孤高はどう違うのか? オッサン自身も正確に意味を理解している訳ではありませんが、ボッチという状況を自ら選択した場合を孤高、結果的にそうなってしまった場合を孤独というニュアンスで捉えています。

ネットで調べて見ると、英語だとloneryや aloneと表現される事が多いのに対し、孤高の場合はsolitaryやindependentと表現されるのだとか……
英語はまったく分かりませんが、何となくloneryやaloneは寂しい雰囲気がある一方で、奇しくもindependentはFIREにも使われている単語ですよね。

何と言うかボッチという状況(環境)自体に大きな意味は無く、何らかの心の寄り所と言うか、生涯を懸けるに値する信念や情熱を持っている事が大切なのかな?

例えば高齢で一人暮らしでも凛とした生活を送っている人っていますよね、そんな人には孤高という言葉が似合っているように感じますね。

結局は心の強さの問題?

孤独と孤高を分けるものは他人とのコミュニケーションの在り方も関係しているのかも知れません。
例えば妻や子供に囲まれていても孤独を感じる事もあるでしょうし、逆に思い人に先立たれても生涯その思いを抱いていれば、それは孤独とは言えないように思います。

自分が対人コミュニケーションを苦手としている事は自覚していましたが、今までは別にそれでも良いと思っていました。
退職前のブログでも、自分はボッチに生きる事を選択したし、他人からどう見られても気にしないと記事にしてきました。

今にして思えば、仕事であったり家族であったり、様々な物に守られていたからこそ言えた事だったのだと思いしりました

結局は自分からボッチを選んだのではなく、コミュニケーション力が低い事を言い訳に、心の弱さを隠して強がっていたと言う事ですね。

孤高に生きたい

現在精神科を受診していますが、主治医の先生から社会との繋がりは大切だが、あまり焦らずノンビリ暮らしても良いのではないかと言われました。
先生の知り合いにも、早期退職して毎日趣味の釣りをして過ごしている人がいるし、そんな生き方も有りなのではないかと言われました。

考えてみれば、子供の頃からボッチが身に染みているので、還暦近くなってから社会性を身に着けようと焦っても難しいのが事実です。

だったら今更「社会との繋がりがぁ……」とか判ったような事は言わず、ボッチである事を受け入れて生きた方が精神的にも安定するのかな? なんて考えています。

今のオッサンは、ハッキリ言って孤高ではなく孤独なのだと思います。

ですが、結果的に社会との繋がりが切れてしまった孤独ではなく、自らボッチで生きる事を選択した孤高な生き方に憧れている最近のオッサンでした。

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