還暦間近・無職・独身の男が、FIREで幸せになるのか?少し考えてみました。

FIREについて

2022年3月末をもって、現在働いている職場を退職し、自称FIREをする予定のボッチなオッサンです。
来年3月末の退職は、既に職場にも受理され決定事項ですが、本当に退職する事で自由が得られるのか、それで幸せになれるのか、少し考えてみました。

本当にFIREと言えるのか?

一応目標金額はクリア出来たのですが、本当にFIREかと言われると自信がありません。

資産収入が生活費を上回っていると言っても、それには二つの要素が関わってきます。
それは、現在の株式市場の好調さと、私の生活費の少なさです。

今後とも現在の状態が続く保障は無く、ギリギリで均衡を保っている状態なので、これがいつ崩れても不思議はありません。

皆さんご存じのように景気には浮き沈みがありますので、株式市場も大きく変動します。
生活費だって何等かのトラブルがあれば跳ね上がりますし、現在の生活を維持出来るかは未知数です。

つまり現在時点では、決して経済的に余裕を持って退職するという事ではないので、果たしてこれをFIREと呼んで良いのか、私には分かりません。
むしろ、FIREと言うより単なる早期退職だと私は思っています。

そもそもFIREって、経済的に自立する事で自由な時間を得て、自分らしく生きるという事ですよね? 私の場合は、その根本の部分も違うように感じるのです。

早期退職の現実

私は現在、うつ病と喘息を患っています。

うつ病の要因は現在の仕事にあります。
退職交渉では上司から「少し仕事を休んでみては?」と勧められましたが、今後も働き続けるために一定期間休むのであれば、いっその事辞めてしまおうと考えて早期退職を決断したのです。

この2年間で体重は30キロ近く減り、立っているのも辛く、フラフラと身体の芯が定まりません。

私は医療機関で働いているのですが、患者さんの安全の為にも、車いすからの移乗を始めとして、様々な仕事で他のスタッフの手を借りねばならず、ただでさえ人手不足の状況なのに、他のスタッフの仕事を都度中断して貰わなければならないという情けない状態が続いています。

夜もまともに寝る事が出来ず、他のスタッフの足を引っ張り続けている状況が申し訳なさ過ぎて、職場で顔を上げる事も出来ません。

それに、うつを発症した原因自体も、現在の勤務先との関係にあるので、スタッフへの迷惑と合わせて、もうこれ以上は働き続ける事は出来ないと考え、退職という道を選んだ次第で、FIREだ何だと言っているのは、私の強がりというか、自分勝手な妄想と言っても過言では無いと思います。

医療従事者は結構ブラック

うつ病の原因は勤務先との関係性にあると言っても、本当に仕事を辞めれば体調が元に戻るのか? 最近良く考えるようになりました。

良くも悪くも、私の生活は仕事を中心に成り立ってきました。
40年近く仕事が生活の殆どを占めてきたように思います。

医療職にとって、他の仕事のような終業時間という感覚は曖昧です。
病院での仕事が終わっても、オンコール業務が始まりますし、数年前までは通常勤務が終わってから事務当直をしていた時期もありした。

当直明けで帰れるかと言うと、残務処理をしなければならず、結局帰宅するのは昼過ぎという事もしばしばありましたし、オンコール業務には当直明けに該当する物はありませんので、深夜に呼び出されて明け方まで働いても、そのまま朝から通常業務です。

振り返ってみれば中々ブラックな感じですが、新入職員時代からそんな感じだったので、それが普通の仕事環境だと思っていました。

なので、それ自体は心を病むほど過酷だったという感じはなく、身体が生活の一部として、そんな勤務状況を受け入れていました。
まあ、それを「キツいな」と感じた事もありましたけどね(^^;

でも、自分の仕事に誇りというのは面映ゆい感じがありますが、きっと私のしている事が誰かの役に立っているという自負がありましたし、病院の理念にも共感出来る部分が多かったので、身体的には厳しい面もありましたし、プライベートでは離婚やら何やら色々ありましたが、総合的に見れば結構充実した人生だっと思います。

社畜生活の果てに

私も含めて、多くの社会人が休日というのは、翌日からの仕事を円滑に行う為の充電時間になっていないでしょうか?

プライベートで趣味を楽しむと言っても、それはあくまでも仕事のパフォーマンスを落とさない為に行っている事。

休日に趣味を楽しんでいても、頭のどこかに仕事の事があって、どこか「明日からも仕事を続ける為に休まないと」と思っている人って案外多いのでは?
仕事の事を考えずに、純粋に趣味を楽しめている人ってどれ位いるのでしょうか?

私は、気が付いたら生活の全てが仕事を中心に回るようになっていました。
そして、そんな生活を続けていられたのも、病院の理念への共感があって、私のしている事が、病院の役に立っている、病院の理念に貢献出来ているという自負心があったからだと思います。

けれど、時代の流れの中で病院も変化していき、理念も形骸化していきます。
その事自体は仕方の無い事なのかも知れません。

病院の規模が大きくなり、業務内容もシステマチックに変化していきます。
私自身も、ISO9001の事務局をしていましたので、業務のマニュアル化を推し進める一翼を担っていたとも言えます。そして、そんな中で失ってしまった物も多くあります。

気が付けば、理念は掲げられているものの、実態としての病院の在り方に、私の共感出来る部分は無くなってしまいました。

仕事を失って生きていけるのか?

気が付けば、人生の8割以上が仕事で埋まっていました。
昼も夜も、仕事の事を考えて生きてきました。

倒産病院で働いていた時は、それこそ夢の中でも仕事をしていたように思います。昔の流行語に「24時間闘えますか?」というのがありましたが、まさにそんな感じでした(^^;

そんな私が、仕事が元で精神を病んだからと、仕事から離れようとしています。
でも本当に仕事から離れたら、療養出来るのでしょうか?
退職が近づくにつれ、全てを仲間に押し付けて、逃げ出す事にたいする罪悪感が押し寄せてきます。

既に退職届も受理され、来春に卒業予定の新人の採用も内定しました。
今更後戻りは出来ません。
それでも、自分は落伍者なのだという敗北感のようなものと、その為に多くの人に迷惑をかけてしまったという罪悪感に苛まれています。

こんな状態で仕事から離れたとして、本当に療養に専念出来るのでしょうか?
そもそも療養に専念って何をするのか?
何もせずに、ただ寝ていれば良いのでしょうか?

最初に体重が減少していると書きました。
一時期、回復傾向にあった体重も現在44キロ、この半年でまた5キロほど痩せました。
このままいけば、30キロ台に突入する日も近いのかも知れません。
身長は165センチほどありますので、筋肉量は本当に悲しいほどにありません(涙)

筋力も衰えて、最近では寝起きさえも億劫に感じます。
本当に、仕事を辞めたら寝たきりになってしまうのでは?という恐怖心さえ持っています。

自分の時間を生きる?

以前、そんな事を言っていましたねぇ・・・
ですが実際の所、今は何をして良いか分かりません。

FIREを決意してから、退職したらしてみたい事をノートに書き綴って来ました。
病と闘っている現在、それらを見ても実感が無いというか、何故それをしたかったのか、良く分からなくなっています。

私の人生に、それほどの価値が在るのでしょうか?
これほど他人に迷惑をかけ、全てから逃げ、それでも生きていて良いものなのでしょうか?

自分の人生? 自分の時間?
そんな物が私に許されると、本当に嘗ての私は思っていたのでしょうか?
今の私には、単なる子供の我儘にしか思えません。

還暦間近で、ろく働けもしない。社会に対しても何ら貢献出来ない。
そんな人間が、自分の人生とか笑えない冗談にしか聞こえません。

本当に、身の振り方を考えねばならない時期が近いように感じています。

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